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デクステリティパズルの歴史
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パズルの構造と歴史 デクステリティパズルは、私が調べた限りでは19世紀(1800年代)には既にありました。 つまり100年以上は歴史があるということですね! あまりにも、くだらないことなのか、これらの歴史をまとめたホームページはほとんど存在しません。 それで、歴史的に誰が考えて、どのような経過を通ってきたかを調べ出すことは非常に困難ですので、私の調べた簡単なデクステリティの構造と歴史について書いてみたいと思います。
1900年より前 少なくともイギリスかアメリカかの英語圏での存在はありました。 絵柄は、今のような漫画ではなくかなり写実的な絵です。 そして、ほとんどのものは金属(ブリキ板など)を使ったものにガラスをはめたものでした。 当時の値段はかなり高かったのではないでしょうか? 当時このような携帯できる娯楽は、庶民の物ではなく上流階級の楽しみとして使われていたのではないでしょうか? その理由として、銀のフレームを持つものなどもあり、ある程度の装飾を施したものも存在するようです。
1900年初期 かなりこの時代には普及してきたようです。 おそらくベヤリングの玉が安くなり、これを作る業者がでてきたのかもしれません。 構造的には、やはり金属のフレームにガラスの構造です。 この時代までは、丸い形状をしたものが普通でした。
1940年頃 戦時中はやはり、戦争をテーマにしたパズルが多くでてきました。 従って、ヒコーキやタンクなどをデザインしたものなどが存在しています。 兵隊が撃った弾(玉)を敵の体の的に打ち込むような痛々しいパズルもありました。 この頃には木でできた四角いタイプも見られます。
1950年頃 戦争は終わり、実は、デクステリティパズルは日本が世界最大の生産国だったように思われます。 オキュパイドジャパンのマークのついた玩具が世界中に出回ったと同時に多くのパズルも 海外に渡りました。 厚紙で作った筒に透明の樹脂の板を張った安っぽいつくりです。 この頃のパズルは本当に練られたものが少なく、面白いパズルはあまり見当たりません。 ただ暇つぶしの役に立ったのかもしれません。
1960年頃 おそらくこの時代がデクステリティパズルの全盛だったのではないでしょうか? 非常に多くのパズルが考えられ知恵の輪などといっしょに玩具の定番となりました。 デクステリティパズルは、もともと簡単な構造だったのに加えて、プラスティックなどの樹脂が安く使えるようになりさらに安価に大量生産したパズルが増えました。
1970年頃 デクステリティパズルは、どこの国でも簡単に作れるために、木などで作られた少し高級なものから 安いものまで作られていました。 日本ではポケットメイトなどの、携帯型のポケットゲームがブームになり、デクステリティパズルは様々な形に変えられ世の中に出て行きました。
1980年以降 玩具はより高度な進化を遂げて、デクステリティパズルは駄菓子屋などの片隅に追いやられました。 既に日本の玩具メーカーは、ほんの一部を除いてこれらの生産を打ち切っています。
2000年頃 推測ですが、現在日本では安いデクステリティパズルを作っている会社は無いでしょう。 一部が中国などなどから輸入していますが、既にゲーム、もしくはパズルと言うには悲しいつくりのものが多く、これでは子供も遊ばないでしょう。 現在フランスで、作っている会社が世界中に輸出をしています。 あとは、ドイツなどいくつかの工房のなどが木のパズルとして作っていますが、その生産量はあまり多いといえません。
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